「被爆者のいない時代」が迫ろうとしている。被爆者健康手帳を持つ被爆者は14万5844人(3月末現在)で、最も多かった1980年度末時点の37万2264人から6割減った。長崎県では援護施策の向上を訴えてきた被爆者5団体の代表が相次ぎ死去。実相を伝え、平和を訴える役割を被爆者や団体に頼ってきた地元行政も次代を見据えた一手に苦慮している。
5団体は56~79年に発足し、医療手当の充実などを求めてきた。9日の「長崎原爆の日」には首相と面談するのが通例だ。
その団体代表の訃報が続いた。県被爆者手帳友の会会長の井原東洋一さんは7月30日、83歳で亡くなった。長崎で被爆した外国人捕虜の追悼や原発問題にもテーマを広げ活動していた。2017年には赤く焼けた背中をさらして核兵器廃絶を訴え続けた谷口稜曄(すみてる)さんが88歳で死去。被爆者からは「団体の活動は存続できるかどうかの瀬戸際にある」との指摘も上がる。
行政も悩む。5団体が持ち回りで選んできた9日の長崎平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表は、高齢化などでなり手が少なくなり、2年前から広く被爆者に呼び掛ける公募制に変更した。
被爆者の減少とともに記憶が薄れていくことを懸念し、長崎市長が読む「長崎平和宣言」の起草委員会の協議でも「被害を伝える内容を多く盛り込むべきだ」との発言が多く聞かれる。
市は幅広い世代に平和について考える機会を持ってもらおうと、7月から平和公園の夜間ライトアップを始めた。平和祈念像や原爆落下中心地碑に光を当て、「鎮魂や平和を願う気持ちを共有してもらう」(田上富久市長)との狙いがある。被爆者のいない時代の平和継承の模索が、被爆地で続いている。
西日本新聞社
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